クリームシチュー

眠れない夜、どうしようもない時間、未だに過ごし方がわからない。。。

スマホいじったり本を読んだり動画見たりして朝が来てしまうこともしばしば。

もちろん原因は日々のストレスだったり孤独だったり永遠の別れだったりするので

そういうとき自分のブログを読むんだけど、いかんせん記事数が少ない。

なので自分用に書く!

今年も桜の季節がやってきて過ぎ去っていった。

仕事帰りに近所の小さい公園でビール一缶あけてきた。

るんちゃん居なくなって2年目の夏、近所の夏祭りに行って

縁石に腰かけてビール飲んだの思い出した。

その夏祭りは初めて行ったお祭りだから、るんちゃんとの思い出はもちろんないのに

ツラかったし、思い出あってもなくてもツライんかい!って思った。

どの季節にもるんちゃんとの思い出はあるし、思い出と呼べないような日常もある。

でも思い出と呼べないような日常も、るんちゃんが居なくなってから

思い出しすぎて、もはや思い出だなあ。←なに言ってんの?

季節の変わり目っていうのが特にツラくなるポイントで

あたりまえだけど、日本は春夏秋冬の永遠ループだからつまりいつもツライっていう。

さらに春夏秋冬だけじゃなく、深夜、早朝、昼間、夕方だってツライし

そこに天気も加わってきたら、日差し、雨、風、空気、におい、全部つらああああああ。

もう何パターンあるんだよっていう感じで

つまり私がツラくなりたがりなだけなのかなあ!?と思えてくる。

るんちゃんがこの世にいたときと世界が同じだからツライし、世界が変わってくからツライし、でもそれだけじゃない。

1人になってしまってからのツラさを思い出してツライこともあるし、

もうこれ一生つづくやつってことでOK?

【最近のできごと】

こないだお母さんに会ってきた。お母さんとの時間だけが心から好きと思える時間。

今日はクリームシチューをつくって食べた。あんまり上手にできなかった。

るんちゃんに作った最後のメニュー。あのときもあんまり喜んでくれなかったなぁ。

そんなのも思い出にさせちゃうなんて、ずるすぎるんですよ。

部屋を更新する

10月で今の部屋に引っ越してきてから2年。

特に深く考えることもなく、更新することに決めた。

引っ越すにしてもお金がかかるしなぁ。。。

今の部屋の家賃高いし、仕事を辞めてから収入は3ぶんの1くらいに減って

正直キツいけど、とりあえずなんとかやっていけてる。

なにより今のところから引っ越すには、荷物を整理しないと。

るんちゃんのもの、パソコン類、

一人暮らしには大きすぎる家電、多すぎる食器などなど。

でもそれらを整理する気力、判断力、思考力は湧いてこない自信500パーセント。

るんちゃんと生活してた部屋から引っ越したときは

るんちゃんがいなくなってから1年半以上経過してたけど

捨てるもの、持っていくものを整理する作業でかなり病んだ。

フラッシュバックで寝れなくて、耐え切れずに実家に帰ったりした。

その時期、母親にも言えないようないろんなことが重なって

実家で父の仏壇に手を合わせながら←普段そんなことしないくせに

なんでかわかんないけど、お父さんが知ってくれてればいいって

わけわかんない思考にたどり着いたり。

結局、引っ越しのときは、間取り的に入りきらないものだけ捨てて

ほぼ今の部屋に持ってきた。いまだに開けてない段ボールもある。

でも当然かもって思う。

だってスマホの写真だって今も薄目で素早くスクロールしてるし

るんちゃんのマグカップの茶渋すら落とせないのに

るんちゃんとの思い出なんて直視できるわけない。

今の私の肌も髪も爪も、るんちゃんが見てたものとは違うんだなって考える。

人間の細胞は7年で生まれ変わるから、原子レベル?でいうと別の生命体になるとか。

7年までにはまだ時間あるけど、7年たっても同じ気持ちなんだろうな。

でも生きやすくはなってるはずだ。誤魔化しだとしても。

そんな感じであと2年は今の部屋で暮らす。

質素に勤勉に、まじめに生活しないとな。

8月、鬼門

8月は鬼門です。主人の誕生日があるんです。

こうやってなんか知らんが生きてるだけで、どんどん年齢おいついていっちゃう。

でもとりあえず、誕生日。

めでたいもクソもないけど、この日がなければ、主人は存在しなかったわけだから。

で、ママ(主人のお母さん)の声が聞きたくなって、当日は電話した。

後から思ったけど、残酷なのかもしれない。

だってママにとっては私が感じるよりもずっとずっと大事な日だ。

でもママも私たちの結婚記念日には電話をくれるし、

わたしも結婚記念日にはママの声が聞きたくなるからいいのかな。

今、誰かと接していて主人を一番身近に感じられる人間って、ママなんだ。

悲しくてもいいんだって思える。元気なくてもいいんだって。

でもママの前では泣いちゃだめだから。

結局、一番心を見せられる人の前では元気に振る舞っちゃう。

だって一番心を見せられる人が、一番わたしを心配してる人だから。

そしてもちろん元気なふりしてることもバレてるよね。

だから取り繕う必要ないんだけど。お互いに無理してることはお互いにわかってるわけだから。

でも無神経な他人の前で無理するのと別物なのは、

もうずっと悲しい、なにがあっても悲しい、晴れてても悲しい、満腹でも悲しい

ってことを共有してるから。

 

わたしとママは、悲しいって感情で結びついてるって思う。

といって慰め合いのように感じる人はステージが違う人なんだと思う。

こんなに悲しい=それだけ愛してるってことだから。

悲しみと愛の深さは比例するんだよ。なんちゃって。

 

"悲しさは徐々に薄れてくよ"っていう人がいる。

"徐々に薄れてくよ、大丈夫だよ"と、ご丁寧にアドバイスくれたりくれなかったり。

わたしは薄れないって思う。慣れるだけだって。

毎日毎分毎秒ずっと悲しい状態にいるから麻痺してく。

悲しみと全面対決する頻度やタイミングが変わるだけ。

悲しみは薄れないし消えない、でもなんか形は変わるかなって感じ。

でも変わったところで根本的な大きさは同じ。

そろそろ慣れてきたかなって思った頃にどデカイのが来たり。

なんなら、わざわざ自分から掘り起こしに行って、自爆したり。

どデカイのが来てないときは、いつ来るのかとビクビク縮こまってる私です。

そんな感じの8月。

あと、これからブログの中では主人をるんちゃんって呼ぶことにした。

やばいなって思うこと

朝です。眠れずにこんな時間になっちゃいました。

というか眠る気なかったーー。ビバ・ゴールデンウィーーク!

昨日の東京は曇ってたけど暑くて、もう初夏って感じだった。

最近、外出もあまりしていなかったし、季節についていけてない感余計に感じた。

 

最近やばいなっておもうこと。

たまたま見つけた、ぜんぜん知らない人のツイッター

その人は主人と同じ趣味を持ってて、行動範囲?もなんとなく似てるような気がする。

年齢もぜんぜん若いだろうし、人柄もちがうんだろうけど。

でもなんでかわかんないけど、ツイートがいちいち主人ぽくて

なつかしいでも、悲しいでも、好きでもないんだけど、釘付けになってしまって。

で、過去のツイートまでずっとさかのぼって見てしまった。

やばいなって思う。

最近みた、ブラックミラーの話を思い出した。

ブラックミラーおすすめされてたから見たけど、胸糞悪い系の話ばっかで、オススメしてる人のセンス疑うレベルだったw

でも故人のSNSから基本情報、口調や思考や記憶を再生したAIと生活する話だけは

ずっとずっと泣きながら見た。

ずかずか踏み込んでくる他人にうるせええええええってなるとことか、

そのあと拒絶しちゃうとことか、精神崩壊するとこ、

1人でとじこもるとこ、2人だけの世界に浸るとこ、

影に依存するとこ、コレジャナイ!ってなるとこ、ぜんぶわたしじゃん。

死別モノってくくりでいいのかわかんないけど、共感できる数少ない作品だった。

 

立ち止まってるのは自分でもわかってる。

歩き始めても自分で歩いてきた道だからすぐ振り返れちゃう。

そこに戻りたいわけじゃないし、ずっとそこにいたいわけじゃない。

でもちょっとずつ歩いてる。はず。

背中にゴムがついててちょっと気抜くとバーンってスタート地点に戻されるけどw

それもまた私の筋力がまだその程度ってだけの話。

思い出すために生きている

なぜ生きてるかとか、なんのために生きてるかとか

主人がいなくなる前から答えなんかなかったけど。

主人がいなくなってから余計わからなくなってしまった。

って思ってた。

でも、むしろ、主人がいなくなってから、

なんで私生きてるの?なんで死なないの?を考えるようになって

逆にぼんやりだけど答えが見えたかもしれない。

・主人のお母さんをこれ以上悲しませられない

・自分の母親をこれ以上悲しませられない

・いつかお姉ちゃんの旦那さんが死んだとき、わたしにしかできないことがあるかもしれない

・自分で死ななくても病気とかで死ぬかもしれない

・生きてるのクソほど辛いけどいつかは絶対死ぬから

とかとか。

でもこんなマイナスな感じじゃなくて、わりと前向きな理由もある!

それは主人との忘れてた思い出をたまーーーーに思い出すこと。

毎日毎日考えてるから、いつも考えることって大体一緒なんだけど。

でもたまにほんとにふと、

あーこんなことあったなぁ、こんなこと言ってたなぁ

って思い出すことがある。

 そのとき、わたし今日まで生きてなかったらこの思い出を思い出さずに死んでたなって思う。って書くとわけわからん危ない人だけど。

思い出すのは大体がくだらないことなんだけど、

自分的には絶対忘れないようにしよう!って

メモしておくか、思い出の棚に並べていつでも思い出せるようにしておきたい。

 

何年も前の春、主人といつものお店で飲んで、イイ感じに酔っ払って家に帰る途中だった。

いつも通る道の脇はいった先にある民家から、道にせり出した桜が

ボロい街頭に照らされて、薄い桜色の花びらが光ってキラキラ舞ってて

そのキラキラが左目の視界の隅にはいって、2人でほぼ同時くらいに気づいて

こっち通って帰ろ〜ってなってその桜の下を通って帰った。

なにを話したかなんて思い出せないけど、そのときの風とか空気とか目がチカチカした感じとか。。。

 

こないだ昼間歩いてるときに、ぱっと見た細い路地の先で桜が散ってるのを見て

ぶわーって思い出した。

なんてことないことだし、どうでもいいことだけど

思い出して、いろんな気持ちが押し寄せてきた。

もし今も隣にいたら、こんなこと思い出さないのかな?忘れてるのかな?って思う。

いなくなった今はわかんないことだけど。

こういうの思い出してニヤニヤしたり、しくしくしたりするために生きてる。

はじめまして、ねこです。

深夜にお酒をのみながらふと思い立ち、ブログをはじめます。

最愛の伴侶を喪ってから4年目に突入しました。

元気なふりに疲れました。

文章を書いていると自然と涙が出てくる。

この生理現象により、これは必要な作業なんだと確認!ゆびさしかくにん!!!

よろしくおねがいします。