人生で価値のあるものには

「人生で価値のあるものにはたいてい代償がつきものだ」

最近ハマってるドラマで出てきたセリフ

こんなにツラいのは、それだけ好きだったからっていつも思うことだけど

私にとってるんちゃんは価値のある人だったし、価値のある関係だった

映画とかドラマのセリフや歌詞に簡単にハっとさせられる

あれ?

価値と代償の言葉が刺さったのはなんでだっけ?

今つらいのは、るんちゃんを愛していた代償てこと?

酔っ払っててよくわからん。

とにかく

影響されやすいし単純すぎるなと自分でも思う

でもそれって、なんでもかんでも関連付けちゃう=ずっと固執してる、ずっと執着してる、それしか考えてない、それベースですべての物事を見てるってこと

そんな自分でいる限り、成長できないのかな

成長ってなに?

忘れるってことではもちろんない

消化するっていうのもなんか違うし

自分の糧にする?うーん???

るんちゃんがいなくなる前といなくなった後で、わたしは人に優しくなったわけでも自分に厳しくなったわけでもない

嫌いな人は増えたし、許せないことも増えた

いつでも誰かを裁くような目で見るようになった

だらしなくなったし、後ろ向きになったし

でも前の自分に戻りたいわけじゃないし、今の自分を受け入れてるし、むしろ変われないって思う

なんなら変わりたくないとすら思う

こんな状況になった自分を自分で特別視してると思う

おぞましいことに選民思想にも似てるのかもしれない

冷たくなってわがままになって人を受け入れられない自分を正当化してる

そしてそんな自分でも人からも許される権利があるって本気で思ってる

しょうがないじゃん、あんなことがあったんだからって

人としておわってんな

 

 

 

なんで私だけを

好きでいてくれなかったのって何度も何度も。

 

今日はってか昨日は、るんちゃんの夢を見た。

いつもどおり、るんちゃんを責めてる夢。

夢には、一緒に行ったお祭りの場面が出てきた。

ほかにも、バスに乗ったり、駅前を歩いたり、どこか記憶があるようなないような場所を歩いたり、場面は目まぐるしく変わって、すごく疲れた。

でもなぜか夢を見た後は、後味が悪いだけじゃなくて、なんか心がぽかぽかして、るんちゃんの背中の大きさや温かさを思い出した。

本当の私とは。るんちゃんと一緒にいたときの私なんだって、漠然と感じた。

るんちゃんが居なくなってからは、何かが足りなくて、何かが余計で、そういう毎日を過ごしていたんだって、漠然と。

で、久々に泣いた。

 

2023年、7年目

大切な人を失った誰もがみんな、夢にでてきてほしいって思うと思うし、私も例外なくそうだった。

でも、夢って意識すればするほど見られなくなってしまうってことはみんな知ってるし、夢で会いたいと思えば思うほど会えないもの。

仕事が詰んでるときとかは仕事の夢見たり、ストレスになるもの、ことに関してはめちゃくちゃ夢に出てくるのに。

というセオリーどおりに、るんちゃんが居なくなったすぐあと、夢もぜんぜん見なくて。

夢に出てきてくれたとしても、別れに関する夢(いなくなっちゃうって不安になってたり、別れ話する夢)だったり、もはやすでにいなくなってたりみたいな感じで、ずっとこれ!って自分の深層心理にキレてた。

でも1年半たって、るんちゃんのうわきっきが詳らかになり、そっからがマジの地獄だった。

悲しみ+憎しみ+怒り+後悔の感情大渋滞の役満状態。←麻雀はやったことない

ただ悲しんでればよかっただけの毎日返してくれよってマジでおもった。これは今も思ってるけど。

そうしたら今まで全然見れなかったるんちゃんの夢も毎日くらい見るようになった。

問い詰めてる夢、知らないふりして一緒にいる夢、別れる夢、その夢のすべてで、私が何を聞いても言っても、るんちゃんは何の言葉も返してくれなかった。

起きてから思うことは、「あーまだ私期待してるんだな」ってこと。

自分の中で愛されてたのか愛されてなかったのかずーっとぐるぐるしてるから、るんちゃんにどっちかの言葉を言わせるシナリオが作れない。

自分の夢で自分の感情を指差し確認。

でもそんな夢も最近見なくなった。たまにうわぁって思い詰めちゃう時とか、そういうときを例外にして。慣れたのか、感情ころしてるのかなんなのか。

るんちゃんの夢は、もう見たいと思わない。現実と同じ悪夢なら、夢でも会えなくていい。

で、今年の初夢はたぶん、桜が咲いてる夢。

「桜咲いてる、もうそんな時期なんだー」って思いながらこんもりしたピンクの木をひとりで眺めてた。

お正月は実家でのんびりしてたけど、茶色い庭をぼーっと眺めてたら、ふと思い出した。あれ?初夢じゃね?って。

桜の夢を見るなんて、わたしの一年、いいことありそう!←ときメモ

今も心が痛い

るんちゃんが居なくなってから、死別っていう別れのつらさに輪をかけて私を苦しめた事実がいくつもある。

ひとつは、るんちゃんの私物に元カノからの手紙を見つけてしまったこと。

改めて文字にするとなんとも薄っぺらいなぁと思うけど、今も何でもないときに思い出して発狂しそうになるくらい重たい。

今日インスタをだらだらと見ていて、オススメに出てきたねこちゃん動画に和んでいたんだけど

そこで流れていた歌に即座に反応して、感情が硬直してしまった。

元カノの手紙にその歌の歌詞が書いてあったから。

元カノの手紙を見つけてしまったとき、大脳フル回転して全ての出来事の辻褄があっていった。

前の部屋から今の部屋に引っ越すための掃除をしていて、るんちゃんの部屋を、感情殺して片付けてたときだった。

るんちゃんから聞いていた、ニャーちゃんを飼い始めたときの話。

ニャーちゃんの毛並みや毛色、仕草についての伝聞形式での会話。

るんちゃんがかわいいんだよって柄にもない歌を教えてくれたときのこと。

謎だった相談。謎だった思い出の場所。謎だったアレコレ。

その話をしていたときのるんちゃんの表情が、何よりも手紙を大事にしていたっていう事実が、

なんだ、女の勘ってマジであるんだなって、やっぱり感で吐きそうになるくらい気持ち悪くなった。

すべての違和感がつながって嫌悪感になった。

点と点がつながるっていうのを人生で初めて経験してしまった。

もうこうなってくると最悪で、あの話も、あのお店も、この食器も全部???ってなってきて、物も感情も全部捨てたくなったし、実際捨てたものもあったりなかったり。

で、今日も久しぶりに当時がフラッシュバックして、心臓がぎゅーってなる反応を体感して、不意打ちすぎて自分でもびっくり。

やっぱり感情って脳みそで制御されてなくて、気持ちって心臓にあるよね???

ってどーでもいーはなしー!

るんちゃんが居なくなってから聴けなくなった曲がたくさんある。

好きなのにもう聴けない。あのときと同じ気持ちではもう聴けないし、でも、聴きたいとも思わなくなった。聴いたら感情大暴走しそう。

これ、信じてた人の裏切りって、いつまで苦しめられるのかなって思ってたら、ずっと消えないらしいです。

前職の会社の先輩とこないだほんと久々に会ったんだけど、

昼前から夜まで10時間くらい飲んで色々話してきたんです。

酔っぱらって(あたりまえ)何話したか断片的にしか覚えてない(あたりまえ)んだけど

話の流れでるんちゃんの浮気の話になり、死別後に発覚したと。

誰にでも話すようなことでもないし、自分でも話すと思ってなかったけど

お酒の勢いで?話してしまった。たぶん、聞いてほしかったんだと思う。

なのでお酒の力を借りて言ったっていうのが正解ですね。

そう。浮気されてたんです。というか相手も結婚してたから、Wふり(自粛

手紙の元カノとは別の女性だけど、それも救いなのか救いじゃないのか、オラよくわかんねぇ。

で、今でも発狂しそうになることがあるって話を初めてした。

そしたら、その先輩も、今のご主人が結婚後に浮気していたと。

ご主人とも何回か会ったことあって、真面目そうな方だったからマジか。。。となって。いや実際に真面目な方なので、まさかすぎて。

その先輩も、今でも何でもないときに発狂するって言ってた。

あと、ご主人に、「今も思い出すし、一生忘れられないと思うから」って直接伝えたとも言ってた。

そういう経験ある人は、みんな同じなんだなーと思った。

私は事実を知った後、今でも「私のことを愛してなかったんだ」「全部嘘だったんだ」⇔「愛されてた」「信じたい」の意味なしループをずっと繰り返してる。

るんちゃんへの不信感がずっとあって、本当のことが聞きたい、でももう聞けないっていうループ。

でも、私は、先輩はご主人に愛されていると思うし、ご主人の愛も信じられるって勝手に思っちゃう。

他人事だからなのか、ご主人が生きていて、今も先輩と一緒にいるからそう思うのか、よくわかんない。

あと酔っぱらってあんま覚えてないけど、先輩と私はちがうの!ってニュアンス出した気がする。絡む未亡人最悪!

愛してるって言葉をもらえるか、もらえないかじゃない。

自分が信じるか信じないかだけの話なのにね。

ってな感じ。はぁー。

あなたが切った夜は

メモうp。

 

考えてること変わってないってところも、こんなこと考えてたんだってところもある。

ベースは変わってないし、成長してるのか、後退してるのかわかんない。

日記って過去に引き戻されてしまう側面もあるし、どうなんだろうか。。。

 

indigolaendのチューリップを聴いたので思い出話を。

るんちゃんは基本、優しい言葉とか甘いセリフ、私がうれしくなるようなことを言ってくれなかった。

そういうとこも好きだったし、そういう人なんだと思って気にしなかったし、

だからこそ、他の女の子には甘い言葉を言ってる事実を知った衝撃はデカかったけど、

まぁそれは置いておいてw

 

るんちゃんに言われて、うれしかったことがある。

「チューリップみたい」って言われたこと。

私、チューリップは好きな花で、花言葉はいろいろと下世話なものはあるけど

花びらがひらひらっと広がるチューリップより、一重の元祖チューリップって感じのが好き。

チューリップのつぼみ、茎とか葉っぱが肉厚で頑なな感じが好き。

マットな色味と手触りも好き。

 

たぶんあれは植え込みに百合が咲いてるところを歩いてて
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」のことわざ?の話になり

「おまえはそういうのに全然あてはまんない」と。

美人でもないし、かといって雰囲気があるわけでもないことは重々承知してるので聞き流していると

「百合とか薔薇みたいな感じでも全然ないし」

ハイハイ

「チューリップみたい」

!!!

「明るくてバカっぽい感じが」

!!!!?!?

 

なんでかわからないけど、私のことをわかって、理解して、好きでいてくれてるんだなって思った。

もともと好きだったチューリップをずっと好きになった。

るんちゃんは何色のチューリップを思い浮かべてたのかなぁ。

3周期を繰り返す

すまほに下書きしてたメモをうp。

 

今年の冬は寒い。

年々、手足の末端の冷えが気になる率が高くなってる。

去年くらいまでは、寝てるとき足が冷たいとかはあったけど

今年は座ってるときも足の芯から冷えを感じる。。。

寄る年波ってやつなのかなぁ。。。まぁ加齢によるものですね。。。

 

で、今はムカムカ期。

なに先にいなくなってんの?をベースに

いなくなっちゃってから、言いたいこと、聞きたいことがたくさん出てきて

勝手に一人でむかむかしてる。マジで文字通り一人で。

ふとした時にぐるぐる考えちゃって

ぐるぐる考えてたどり着く先は、「答えがでないことを考えるのやめよう!」て答え。

最近は、この思考にたどり着く時間が、前よりは短くなったかもしれないけど、

でも結局考えてはやめ、考えてはやめの繰り返し。

他には大好き期と悲しい期があって。

大好き期は穏やかな気持ちで過ごせる。

ちょっとしたことを思い出して、無性に誰かに話したくなる。

母親とママに話してるときだけ、るんちゃんの名前を発声するときだけ、

なんだか今も大事にされてるみたいな気分になる。

そんなことはないのに。

悲しい期は何をしてても悲しい。

卑屈度もいつも以上に増すし、まわりの人間が全員バカに見える。

最近は涙は出なくなったかな。

でもやっぱり話すことにはまだ慣れてなくて

泣き言は母親にしか言えないし、泣き言を言うと泣いてしまう。

誰かに話すこと自体に免疫がついてないせいだと思う。

言葉にすると、感情も一緒にどんどんあふれてくる感じ。

日常、気持ちを押し殺してる自覚はないんだけど、ここぞという時に取り繕う準備ができてない。

でもその反面、悲しかったことや傷つけられたこと、悲しい気持ちを話してるときは

自分じゃない誰かの悲しい話とか悲しい映画を観てるみたいな気分にもなる。

自分に起こったことじゃないみたい。自分じゃない誰かが悲しんでるみたい。

自分が二人いればいいのに。全部をぶつけられて全部を共有できるもう一人の自分。

私の話を聞いて、私が泣いていたら、私は泣かないでいられるのかも。

人前でへらへらするのは嫌い

あっと言うまに9月。

仕事は相変わらずでなんとか生活できてる。
新しいことを覚えたり、うまく調整できるようになったり充実してるって感じる時が多い。最近は、多かったのに。
人付き合いがつらくなったのが一因で脱サラして、今の仕事をはじめて、完全在宅のゆるさ/前職に比べて仕事が超イージーモード/人間関係付かず離れずの距離感も居心地よくて続けているけど、最近人の入れ替わりがあって、20代〜40代の女性と関わり合う機会が増えた。
普通に嫉妬してしまう。妬み?怒り?いらだち?
その人たちにはパートナーも子供もいて、家族が健康でっていう現実。
わたしがもう手に入れられないものっていう現実。
わたしがマイノリティだから、しかたない。
そもそも死別のことだってみんなに話してるわけじゃないから知られてなくて当然で、なのに、勝手にもやもやもやもや。
言いたくないけど、言う勇気もないけど、知られたくもないけど、言ったらどうなるんだろう、黙ってもらえるのかなって思う。言ったって気まずくなるだけ、誰にも何も響かないってわかってるのに。言ったら辛くなる、後悔するってわかってるのに。のに、家族の愚痴とか聞きたくない、無意識の惚気話なんか聞きたくないっていうこの気持ち。
月初は忙しくて、つかれた。
このところ意味なく毎日晩酌してた。癖になって飲んでて、酔うほど飲まなかったんだけど、今日は久しぶりに日本酒スパークリングのんで、ひとりでへらへらしてしまった。
飲んでていい気持ちで顔が自然とニヤけて、ニヤけてる自分に気づいて、途端につらくなった。
お酒のんでいい気持ちになるときは、必ず隣にるんちゃんが居た。なんとなく最近はこの気持ちと対峙することがなかったけど、久々にまじめに向き合ってみると、やっぱりねって感じで、今も変わらずしっかりつらい。